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五彩の虹を掛ける

 
第38回(平成30年度)
全国高校生読書体験記コンクール県入選
高橋まりあさん(新潟県立新潟高等学校)

 自宅の本棚にある古い一冊の本。小学生の低学年だった私は「黒い雨」という題名になぜか胸がざわざわした記憶がある。何となく手に取ったかもしれないが開いた記憶はない。とにかくそれ以降、気にも留めなかった本に手を伸ばしたのは中学二年の頃だった。
 きっかけは沖縄での修学旅行だった。あの時の私は初めての沖縄に浮かれていて修学旅行の意味すら忘れていたのだろう、大した下調べもせずに沖縄へ行ってしまった。広がる海に新潟にはない白い砂浜・・・だが、そんなわくわくする想像はすぐに打ち砕かれた。なぜなら戦争の現実に触れてしまったから。戦争については学んできた。教科書や資料集を読み、テレビでの特集は必ずと言っていいほど観てきた。それなのに戦争の現実は私の想像を遥かに超えるものだったのだ。沖縄の語り部と呼ばれる方の言葉は私に戦争の真実を教えてくれると同時に、今ある幸せを実感させてくれるものだった。修学旅行とはそもそも遊びにいく目的ではなく、学びを深めるという本分を忘れ浮かれていた自分が情けなかった。その情けなさが「黒い雨」を読むきっかけになったのかもしれない。
 井伏鱒二の本は今まで読んだことがなかったが、黒い雨については映画化されている事も知っており耳にしたことがあったので戦争の本であるということだけは理解していた。沖縄の戦争の話を思い出しながら本を開いてみたものの、まず文字の細かさに驚いた。正直に言うと一ページ目で挫折しそうになってしまった。その上言い回しが何とも難しく何度も同じページを繰り返しながら読み進めた。長い時間をかけて読んだ私なりの黒い雨についての感想を一言で述べるとしたら、人間の本質のようなものが描かれていると感じた。そこには当然原爆の話があるのだが、悲惨な状況がまるでその場にいたかのように描かれているにもかかわらず、私は主人公の重松として妻の姪の矢須子を思いやる事に精一杯になってしまう。登場人物の描写が丁寧なことで感情移入がし易かった。日常の営みの中に突然訪れた予期せぬ不幸が原爆であっただけで、こうも人間らしさを失ってしまうものなのかと嘆きつつ家族を必死で守り抜こうと思いめぐらす重松に感情移入したまま涙してしまう。これほどまでにリアルに戦争の悲劇を伝える小説を読んだことがなかった私にとっては少し別世界のものとして感じたのかもしれない。当時、中学生だった私には少し荷が重すぎる作品なのだと自分に言い聞かせていた。
 高校生になり、少し時間にも心にも余裕ができたことでなぜかまた黒い雨を読み返した。以前よりスムーズに頭に入ってきたが今度は姪の矢須子に感情移入してしまった。すると以前とは違う、怒りとか絶望といった負の感情が押し寄せてきた。
 なぜ、罪もない人たちがこんなにも苦しまなければならないのか?
 なぜ、同じ人間なのに原爆という恐ろしいものを落とせるの?
 なぜ、生きることを諦めなければならないの?
 私の中に生まれた なぜ はどこに、誰に問いかければいいのだろう。
 私の中に蓄積された なぜ という疑問符を少しでも理解できたらと、高校二年の夏に自ら高校生平和大使に応募した。願い叶わず落選したものの、広島・長崎派遣大使として核兵器廃止などに参加してみないかと誘いを受けた。五日間で広島の原爆ドーム、平和式典、長崎での講演会、署名運動など様々な行事に参加し、戦争について原爆について話を伺う機会を得る。その中で「黒い雨」についても教えて頂いた。私の中でどこか別世界だった戦争という現実がより身近に、より恐ろしく私の中に浸透した。
 そんな思いを胸に、長崎の商店街で核兵器禁止への署名活動を行った私は炎天下の中、汗を流しながら同じく全国から集まった多くの高校生たちと共に必死で声を張り上げる。黒い雨の最後で重松が望みを託した五彩の虹はこれからを生きる私たちが掛けなければならないと強く思った。
 たった五日間の活動で戦争や原爆について全てを理解することも語ることすらも出来ない、だがこの五日間は私の人生の中で大きな糧となった事は間違いないだろう。 
 一冊の本をきっかけとして、今まで事なかれ主義だった私の目の前に予期しない世界が広がり、その世界を更に広めたいと願っている私がいる。
 本を読むということは自分の視野を広げるツールのひとつである。本は読んだら終わりではなく、読んでから始まるものなのかもしれない。
 

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