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わたしの母はフィリピン人

 
第38回(平成30年度)
全国高校生読書体験記コンクール県入選
前田操紀さん(私立帝京長岡高等学校)

 私の母親はフィリピン人である。小さい頃は父も母も仕事で家を留守にすることが多く私の面倒を見てくれていたのは祖母だった。
 昔ながらの気風の祖母は常から私に礼儀作法(主に友だちの家に行ったときのマナー)を教えてくれた。だから、私の性質はほとんど日本の感覚が染みついているわけである。
 保育園を卒園すると小学校に入ることになるが、ここで私は「自分の親が周りと違う」ということをはっきりと意識し始めることになった。
 第一に、「操紀ちゃんのお母さん、変わってるね」と言われたことがある。その時は何が変わっているのだろうと思っていたが、徐々に実感することになった。
 母は日本語を話せるが、多少おぼつかないところがあるし、読みは大抵できるが書きはひらがなと、小学校低学年から中学年の漢字程度だ。私の名前の漢字も母には難しいらしい。それだから学校から来るお便りなんかも読むのが難しく、あまり読んでいなかったような気がする。PTAの集まりも本人はあまり気が進まなかったようで、お母さん方の集まりというものには参加していなかったように思う。そこも他の子たちには変わっているように見えたのかもしれない。
 第二に、民族性というべきか、普段から母はとても明るい。それこそ子どもと一緒になって遊び出す程だ。授業参観では私を構うのはもちろんのこと、近くにいる他の子にも話しかけていたので、気さくな母だったが、他のお母さん方は驚いていたので恥ずかしかったのを今も覚えている。
 第三に、そのような学校の集まりの時に親と一緒に何かをやるときに、遠くで私たち親子を見ながら何か言っているお母さん方を見かけたことがある。「あの人、外国の人よね」「フィリピンの方らしいよ」…今になって思えば母も若かったし、あまり良いイメージを持たれていなかったのだろうと思う。その時に限らず、何回かそんなことがあった。両親が出会った経緯はなんとなく想像がつくが、そう言われるとなんだか自分の親が恥ずかしくなった時もあった。
 ある時、私が母に向かって言ってしまった言葉がある。
「私は日本人だよ!」
 何がきっかけでそう言ったかは覚えていない。けれどその時の母は見たことないくらいに怒っていたし、とても悲しそうな表情をしていたのは一生忘れないと思う。私の言葉を聞いたとき、母は何と思ったのだろうか。娘に自分の血を否定されて、どう思ったのか。きっと今の私にも想像がつかない位に傷付いたことだろう。
 そんな経験をしてきた私だが、この夏に古本屋巡りをして、ある一冊の本に出会った。
「ジーナの家-フィリピンからの花嫁」
 タイトルに惹かれて手に取ったその本は、一九九四年発行の、その頃にしてみれば珍しいフィリピン女性との国際婚を描いた奮闘記だった。
 主人公のジーナは芸能人の研修を母国で受け、日本にビザで入国したものの、生活するのには名も無い芸能人の収入ではとうてい無理な話で、ジーナはクラブで働きながら生活していくことになる。そこでジーナは、信二という日本人男性と運命の出会いを果たし、なんと結婚までしてしまう。
 ジーナが嫁いだ信二の家族、中原家の人々は動揺を隠し切れず、またジーナの方も慣れない日本的生活に奮闘しつつ、新婚生活をスタートしていくところなど、とても楽しく読めるが、国際婚の考えの違いや両者の文化の違いに悩まされる信二の葛藤も胸を打たれる。
 この本を読んだ後、私はジーナのこれから生まれてくる赤ちゃんのことを考えた。この頃はまだ国際婚に寛容ではなかったはずであり、育ってからも異国の血をひいているジーナの子どもは普通とは違うという偏見の眼で見られてしまうのではないか。子どもというのは正直で、自分と違う人を区別し排除しようとすることがあるが、果たしてそうなってしまうかもしれないのではないかと。私だったら堪えられない。きっと自分の親を憎んでしまう気さえする。この本を読む前の私であれば。
 私はこの本に出会えてとても良かったと思っている。国際色豊かになっていくこの世の中で、多文化社会になっていく日本で、両方の血を受け継げたことを誇りに思う。最近、私は母の国のことを勉強し始めた。母とフィリピンの話をしたり母国語で話してもらったりする。新しい文化に触れる瞬間は楽しく、話す母も嬉しそうにしてくれる。両者が理解し分かり合えるために、私は学んでいく。
 私はこれから、母のことを誇りに思っていきたい。そして、世間がもっとハーフについて偏見を持って接することのない世の中になってほしいと、切に願っている。
 

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