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「後悔しないために」

 
第37回(平成29年度)
全国高校生読書体験記コンクール県入選
土田楓花さん(私立帝京長岡高等学校)


 「君の膵臓をたべたい」
衝撃的で残酷で非人道的で、なにより美しい言葉。タイトルに惹かれて手に取ったこの本に、タイトル以上の衝撃が待っているのを知らない過去の私と今の私とでは、まるで違う人間のような気がするのだ。

 「命を大切にしましょう」「人生は一度きり」物心つく前から湯水のように浴びせられてきた言葉で、疑問など持ったこともない。でも、この本には、ほんとうの「命の大切さ」がこんなにもわかりやすく、そして悲しく書いてあった。

 私の友人は、ちょっとしたことで脳しんとうになる。ふざけて叩かれるのも危ない状況なのに、なんとスポーツをしている。しかも球技である。ボールが当たったら、もちろん脳しんとうになる。高校に入ってから、何回倒れただろうか・・・。その友人が脳しんとうになるのにも慣れたある日、彼女はこんなことを言った。
「次脳しんとうになって倒れたら、生存確率五十パーセントなんだ!」
まるで好きな歌手の話をするような明るい口調で彼女がそう述べたので、私も
「いや、それ二分の一じゃん。気をつけなよ・・。」
と、あまり深くは聞けなかった。でも、私は彼女の言葉を本人よりかは重く受け止めているつもりだった。

 それから数か月後の朝、彼女はいつものように脳しんとうになった。またか、と思っていつものように助けに行った。でも彼女はいつもとは違った。どんなにひどくてもいつもは「痛い」「寒い」と、うわ言を言っているはずで、それを聞いて「大丈夫だ」と安心するはずなのに、その日の彼女はぴくりとも動かなかった。担架で保健室に運ばれた、動かない私の友人を改めて見た。養護の先生達が「脈は・・」「呼吸は・・」とか言っているをの聞いて、はっと我に返った。初めて彼女のために救急車が呼ばれた。私はとても授業どころではなくて、
「生存確率五十パーセント」
という言葉がずっと頭の中をかけめぐっていた。あれ、私最後に何話したっけ。本当に死んじゃったらどうしよう、後悔だらけだ。そんな最悪な想像までした。

 結局彼女は二分の一を勝ち取って生きていてくれたのだけど、私は絶対彼女に対して後悔しないようにしようと心に決めた。そんな時に読んだのがこの本である。

 主人公の少女は治らない膵臓の病気。先に言ってしまうと、病気で死ぬのではなく、なんと通り魔に襲われて死んでしまう。その少女は「死ぬまでにやりたいこと」をやろうとしていた。それに付き合わされる根暗な少年。彼は少女の死を覚悟していたはずである。だが、彼女は残り四か月余命を残してあっけなくこの世から去った。病気の少女は病気で死ぬものだと思っていた。
「僕は、残り少ない彼女の命だけは世界が甘やかしてくれると信じ切っていた。」
少年がそう言った。打ち切りと言われた漫画は打ち切りまでは続くし、最終回といわれたドラマは最終回までは続く。十話完結の連載小説が八話で終わることなどない。でも人生は、そうもいかないようだ。考えてみればあたり前のことなのに、何でその結末だけはありえないと思っていたのだろう。病人も健常者も、子供も老人も、明日死ぬかもしれないのはみんな一緒なのに。少年は少女に憧れていた。少女のようになりたかった。
「君の膵臓を食べたい」
彼が彼女に伝えられたのはこれだけだ。本当は、もっと伝えたかったことがたくさんあるはずなのに。彼の一番の過ちは、人の死なんて誰にも決められないはずなのに、わかったふりして伝えることから逃げていたことだと思った。

 自分に置き換えてみれば、私も友人も、母も父も同じということになる。そこまで考えて、私は自分の間違いに気づいた。あの、脳しんとうの彼女だけ特別扱いしていたことだ。脳しんとうになりやすかろうがなりにくかろうが、毎日伝えたいことを伝えるのは一緒なはずだ。脳しんとうになりやすいから「死に近いというわけではない。明日事故で死ぬのは、私かもしれないし他の誰かかもしれない。

 私はこの本のおかげで、誰に対しても後悔しないように生きることを決めることができた。不謹慎だけど、いつ誰が死んでも未練がないように。考えてみてほしい。例えば母親が、明日死んでも後悔しませんか?感謝やその他色々な気持ちを毎日伝えていますか?私は「死」について平等になれた気がする。同時に、「生きる」ことについてもそうであるといいと思う。
 

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