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聞こえるということ

 
第36回(平成28年度)
全国高校生読書体験記コンクール県優良賞
加藤みなみさん(新潟県立高田北城高等学校)

私は小さい頃から、難聴を患っている。左耳はほぼ聞こえず、右耳のわずかな聴力を頼りに、補聴器をつけて生活している。それでも、小学校低学年くらいまでは、不自由さを感じることなく日々を過ごしていた。私にとって、補聴器をつけて生活するということは普通のことだったからだ。    

新潟県立高田北城高等学校



小学校三年生のある日、私は担任の先生に呼ばれ、廊下に行った。そこで先生から切り出されたのは、「特別支援学級に行くか行かないか」というものだった。その時、私は改めて自分が周りとは違うということを認識した。もちろん、自分だけ補聴器をつけたり、先生に専用のマイクを使ってもらったりしているということは分かっていた。しかし、今まで健聴者の友達と普通に過ごしていたので気にはしていなかった。そんな中の先生の話だったので、現実を突きつけられた気分だった。それでも私は友達が好きだったし、一緒にいるのが楽しかったのでその話は断った。先生にとっては私のためを思っての提案だったのだろう。でも私は「聞こえ」よりも、友達との生活を優先した。私はこの判断が良かったのか、当時は分からなかった。

そして、そのままみんなと過ごし、小学校六年生になった。私は昔から本が好きだったので家にある本を読んでいた。そして、一冊の本を見つけた。それが「あなたの声がききたい」だった。早速、読んでみた。この物語は、聴覚障害の両親を持つ加奈子のノンフィクションで、周りからの差別や両親と会話ができないもどかしさを感じながらも、成長していくという話だった。

私はこの本を読んだ時、周囲からの差別や偏見に傷つきながらも、主人公が温かい性格に成長していく姿に心を打たれ、涙が溢れた。そして、聞こえることの幸せを感じた。しかし、当時の私は、「私は聴力が残っていてよかった」とか、「親とコミュニケーションとれないのは大変だな」とか、どこか客観的に読んでいたように思う。おそらく、まだ主人公のことしか見えてなく、物語の深くまで読み取れていなかったのだろう。

それから四年たった、今年の夏休み。部屋の整理をしていると、この本が本棚の奥から出てきた。私は懐かしさを感じながら、再び本を開いた。

私は読んでいて、また、涙が溢れた。しかし、四年前と比べると、心打たれるポイントが違っていた。四年前は加奈子の成長していく姿に心を打たれたが、今回は聴覚障害を持つ加奈子の母の言葉や想いに心を打たれた。

私よりも重い聴覚障害を持つ加奈子の母の言葉は、どれもとても心に響く言葉であり、勇気づけられるものだった。特に、私が印象に残った言葉が、「挫折が大きいと、つい、自分は損をしていると思いがちだけれど、じつは、挫折をのりこえる力がその人にそなわっていることを神様が知っていて、人生の勉強のために挫折という宿題を与えてくださったんだよ」という言葉だった。私は聞こえないことの辛さを感じている時に、この本のこの言葉を読んだのですごく胸にささった。

私は、演劇部に所属している。部活では、合図によって動く練習や、動いている最中で指示が出ることがある。そんな時、聞こえない、あるいは、聞き取れないことによって、周りの人達よりも反応が少し遅れてしまうことが多々あった。それによって、部員に迷惑がかかったり、自分が困ったりしてしまっているのだ。自分の事はとにかく、部員に迷惑をかけたくない。だから私は今まで以上に「耳が聞こえれば、」と強く思っていた。 

そんな中、この本を再び開き、加奈子の母の言葉を読んだので、心に響いた。そして、耳のことだけではなく、それから色んな挫折、宿題を乗り越えようと思った。また、この言葉を読んで、あの時、特別支援学級の話を断って良かったと思った。もしあの時、行くと答えていたら、ずっと支援学級に居続け、周りの優しさに甘え続けていただろう。そして、この挫折は乗り越えられないと思う。なぜなら、この挫折は私が乗り越えていくべきものであって、誰かの優しさに甘えながら乗り越えるものではないと思うからだ。

正直、私はすごく将来が不安だ。障害があっても職につけるのか、差別や偏見はないか、この挫折を乗り越えられるのか、周りの人に障害を受け入れてもらえるのか。不安要素は尽きない。それでも、前に進む以外に選択肢はないと思う。加奈子の家族がそうであったように、私も前に進んでいきたい。そして私は私らしく進んでいきたいと思う。



 

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