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信濃川はたびたび水害を引き起こしており、18世紀前半以来、何度か分水工事の計画はあったが、なかなか実現をみなかった。明治元(1868)年に大規模な氾濫が起こり、付近農民の声を受けて明治政府は工事に着手した。この図は横に細長い着色の図で、当時の工事区域である大川津村(現在の西蒲原郡分水町)から寺泊海岸までの工事の様子を描いたものであり、工事人足が多数書き込まれている。この工事はなかなか進展せず中断、最終的に完成したのは昭和2(1927)年のことであった。なお、この図は『新潟県史
資料編13』の口絵にも使われているが、『信濃川改良工事沿革誌』(1924年)や『信濃川大河津分水誌(第一集)』(1968年)の付図として使われている「明治二年大河津分水堀割図面」と図面の部分はほぼ同一である。おそらく当館の図は、タイトルの部分のみが欠けたものと思われる。
(請求記号:000−別8) |